二週間後、帰国 2015年5月15日ネパールの内務省報道官によると、地震による死者8,460人・負傷者2万人以上になったことが発表されました。地震は収まって安堵しても、元の生活を取り戻すのが大変でした。怪我をして一命はとりとめたものの、障害が残ってしまったり、仕事を失ったりとこれまでの生活に戻れない人がたくさんいました。そして、命はあるものの家や家族など身寄りを無くしてしまった人も多く、自殺者の増加など二次被害の拡大も心配されていました。07Nov2019ことのはじまり
おばあちゃんの救出 チャリス村へ到着すると、地震当日に怪我を負ったおばあちゃんがまだ病院に行けずに苦しんでいました。早速、衛星電話でヘリを要請しましたが、チャリス村にはヘリコプターが着陸できず、歩いて2時間程のシェルトゥン村へおばあちゃんを連れて行きました。ビルさんが到着するまで一週間。ヘリコプターで病院へ行くまでに5日間程かかりようやく治療を受けることができました。命に別状は無かったとはいえ、頭に裂傷を負い、腰や足など全身を打撲していたので、ずっと痛んでいたはずです。病院で治療を受けられて、ホッとした表情だったといいます。元々、チャリス村は山岳地帯で、病気やけが人を病院に連れて行くことが困難な地域でした。例えば、家族が病気になってしまって病院へ行こ...31Oct2019ことのはじまり
被害状況 ようやく電話が繋がって、山岳地帯の被害状況が分かってきました。 チャリス村周辺にあるゴルガー郡、ダーデン郡、ヌワコット郡、ラスワ郡、シンドゥパルチョク郡では、壊滅的な被害があったことが分かりました。チャリス村では、死者は出なかったものの、一人けが人がいるとのこと。 村には100軒ほどの家があり、5人家族が多いそうなので、人口はおよそ500人程。学校は建物が崩れてしまい、村の共同水道も壊れて水が出なくなっていました。そして、村人が住む家も倒壊したり、傾いてしまったりと、今まで通り使えない状況でした。 当日は、土曜日で学校がお休みだったこと。そして、幸運にも村の半数近くの人が村近くの渓谷にある温泉(タトパニ)で養生していて多くの人が難...03Oct2019ことのはじまり
繋がらない電話 地震直後、携帯の中継機が壊れてしまって、携帯電話が繋がらない状況が長く続きました。日本にいる家族ともなかなか連絡が取れませんでした。電話がないと情報収集もままならない状態。混乱の最中、地震当日に予約していた飛行機にも乗ることはできません。地震発生以降は、トリブバン国際空港も閉鎖状態。しばらくの間、飛行機の発着は中止され、機能を失いました。 日本にいる家族も心配で何度も電話を掛けましたが、携帯にはほとんど繋がらず安否確認ができませんでした。二日目には携帯は電池も切れてしまい固定電話が頼りの綱。しかし、現地にいる人たちは、余震を恐れて建物の中にいないので全く繋がらないのです。時間が経つにつれ、今度は食糧不足の深刻化による暴動が心配にな...25Sep2019ことのはじまり
2015年 ネパール大地震発生直後 2015年4月25日。午前11時56分。ビルさんは、その日夜のフライトで日本へ戻る予定でした。故郷であるチャリス村から移動し、弟のいるカトマンズ滞在中。ビルさんの経営する日本語学校の打合せ中に、被災しました。打ち合わせの相手は、たまたま日本人だったため、これは地震だとすぐにわかりました。これまで経験したことのない大きな揺れに、カトマンズの街中はパニック状態。建物は倒壊し、街中に人があふれていました。当然、空港へ行くこともできず、余震が続く中、夜を明かしました。 日本では、妻の真理子さんが心配し、携帯電話をかけましたが、25日の夜と26日にほんの少しの間だけ繋がったきり音信不通。当時、真理子さんのお腹には三人目の子を妊娠中。9歳にな...07Jun2019ことのはじまり