故郷 チャリス村へ

 ようやく電話が繋がって村の様子がわかってきましたが、依然として厳しい状況が続いていました。地震から5日が経っても政府や諸外国からの支援は届いていませんでした。

聞けば、建物のほとんどが壊れてしまい、多くの村人たちが家の中に入れずに野外に寝泊りをしている状態。

雨風を凌げるブルーシートや毛布などもありません。家は倒壊し、食料庫の中には食べ物があると分かっていても、余震が続く中、危険で人が入れません。

ネパールに地震が発生したのは、約80年ぶりのこと。

村人全員が初めて経験する地震。村の長老でさえも予備知識を持ち合わせておらず、余震が続き、恐怖に怯え、ただ地震が治まるのを待つだけでした。

写真:チャリス村の避難生活


 一方、カトマンズでは弟の奥さんが亡くなり、葬儀が執り行われました。そこに集まったカトマンズ出身者の知人に、ビルさんが村の現状を伝えました。

このままでは食料もなく孤立してしまうチャリス村のために、持てるだけの食料を持って行こうと声を掛けました。

しかし、まだ余震が続く中、いつ崩れるかわからない山間を歩くのは危険です。なかなか、首を縦にふる人はいませんでした。

それでも行かなければと訴え続け、一番最初に手をあげてくれたのは、いとこの息子でした。

それを見て次々と、名乗りを上げる人が増え、最終的に19人がチャリス村へ行くことになりました。


 衛星電話で村周辺の状況を聞くと、崖崩れが起き、人が生き埋めになっている場所があったり、道が崩れてしまっていると言います。車はもちろん、ロバや馬も使えない状況。

重い荷物を運ぶことは危険です。村では家屋が倒壊し、食料や水は瓦礫の下敷きになってしまっているので、まずはそれを取り出す人手が必要でした。

まずは、移動の際に掛かる3日分の食料とインスタントラーメンなど重量の軽い食料を背負って、出発しました。

余震が続く中、落石や崖崩れの危険を感じながら、山道を行くのはかなり勇気のいることでした。慣れた人でも二日半かかる山道。上から時々石が落ちてくることもありました。

当時のことを思い出すと今も緊張するとビルさんは言います。もし、道中の事故で亡くなる方がいたら声をかけたビルさんの責任になってしまうと、気が気ではなかったそうです。


 出発して3日後、19人一人も欠けることなくチャリス村へ到着。

その時は、村中の人が涙を流して迎えてくれました。それぞれの家族の無事も確認し、安堵したそうです。


それから、手分けをして瓦礫の下敷きになった食料を取り出す作業をはじめました。

地震発生から一週間余り。

5日を過ぎた頃から、山間地区にも政府のヘリコプターが支援に来ていたのですが、チャリス村に着陸することができず、空からお米などの食料を落としていきました。

しかし、落下の衝撃でお米は飛び散ってしまい、食べることが出来ません。

この救援隊のおかげで、ようやくまともな食事が食べられるようになりました。

写真:カトマンズからチャリス村へ支援に向かった仲間

nepal himalayan action society

NGO nepal himalayan action societyは、現地のスタッフで運営するNGO団体です。

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